サッカー的な散文【footballshoegazer’s blog】

鹿児島ユナイテッドファンです。東京でベンチャー企業を経営しています。サッカーについて、好き勝手に書こうと思います。

青の革命と、横たわる日常

目黒川沿いの並木道を自転車で走る。

生温くとも心地よさをくれる風、街、人々。

そんな普段見慣れた風景が、いつもとは違ってみえる。

そわそわする心を押さえきれない。

ゆるゆるのはずの土曜日の午後の合間を、濃密な時がゆったりと流れてゆく。

雨が降るかと思われていた空には、光が射し、うっすらと淡く滲んでいる。

この空は遥か遠い南アフリカの空と繋がっているんだなぁ。

今この瞬間の、選手達の、サポーターの、すべての人達の息づかいが

聴こえてくるような気持ちが、なんとなくしてきたりもする。

街角に、夕暮れが忍び込んでくる。

黄昏ゆく街の肩を、情熱的な夜が抱きかかえる。

永遠の夏の、素敵な思い出が、川面でキラキラと輝く。

8年前、僕は高校生だった。

サッカー部を辞め、渋谷のセンター街のマックでバイトをしていた。

911があり、イラク戦争が始まり、セカイは若干ぶっ壊れ気味で、

僕は僕で、何もかもに嫌になっていて、若干ぶっ壊れていた。

なんか革命でも起こんないかなぁとか、退屈な日々の中でうそぶいたり。

チュニジア戦の晩、センター街はお祭りだった。

マックの前のスクリーンでも、パブリックビューが行われていて、

もう、カオス。

あまりの人と、点が入るごとの騒ぎに、

ついに天下のマックも耐えきれず、早々に店を閉めることとなったのである。

サラリーマンと抱き合い、すれ違う人達みんなとハイタッチをし、

知らない人達と肩を組み、騒ぎ立てる。

街頭によじ登る人、発煙筒の真っ赤な炎、押さえつけようとする機動隊。

あの時、あの場所で、なんだかすべてが変わっていた。

結局、革命など起こるわけもなく、日常は続いていった。

しかしながら、局面的に革命は起こっていたのだと思う、2002年の6月の日本に。

セカイは続く、日本代表が勝とうが負けようが。

「人生は続く」

オシムさんも行っていた。

それぞれの人達に、それぞれの人生があるように、

2010年の6月19日の夜は、結果がどうあれ、それぞれの人達に、

それぞれのストーリーを残すのだろう。

そしてまた、時が流れてゆく。