レアル戦にみる戦略的挑戦の意義
日雇いのバイトから終電で帰り、NHKでやってたユーベ対ナポリ(おんもしろい試合だった!)を観ながら、悪魔の囁くまま赤ワインを飲み、ミートスパゲティを食いつつ、ダラダラしてたら、寝るのが3時過ぎになってしまい、死ぬほど、ほんとにダークサイドに落ちてしまうほど、睡魔の嵐が網膜に吹き荒れる午前4時半に無理やり起き、ManU-レアル戦を観戦。
マンチェスター村のガム爺さん
1-1からのホームなので、0-0で終わればいい。
当然ながら、作戦は、「ガンガンいこうぜ」ではなく、「命を大事に」。
より紐解けば、以下のことが優先されるはずだ。
①失点しない
②先制点をとる
③上手く試合を終わらす
そのためにとった方法が、伝統的4−4−2での、ディフェンシブなカウンターサッカー。
まさかまさか、ルーニーを外してくるとは思わなかった。
事前のメディア戦では、香川を起用するだのあーだのこーだの、紳士的に(モウリーニョとは違い)、情報を流していたが、香川だけでなく、ルーニーまでも。
思わず唸ってしまった。
なるほど、なるべく長い時間無失点に抑えて、切り札としてルーニーを投入するプラン。
予定調和を脱した、戦略的チャレンジ。
ファーガソン監督は、見た目は、イングランドの地方の民家でロッキンチェアに揺られながらアフタヌンティーを飲むような温厚でかわいらしいお爺さんだが、やることはかなりエグいし、かっこいい。
実際、「あの時」までは、戦略意図は完璧に実行されていた。
後半途中まで、1−0というかなりの有利な状況を、創出する、すごさ。
すごすぎる。天才すぎる。惚れる。「あの」モウリーニョにも尊敬されるわけだわ。
あとは、③の「上手く試合を終わらす」ことに専念するだけだった。
がしかし。。
ナニとは何か
ナニの愚かさ。
故意ではないという見方はあるが、ロイキーンも言っていたとおり、あのプレーは軽率なプレーだったと思う。
ナニという選手は、自分もよくわからない。
いい選手なんだろうが、どうもぐっとくるものがない。
それが何(シャレじゃないよ)なのかはわからない。
マンチェスターの伝統的な4-4-2におけるサイドアタッカーなのだが、それ以上でも以下でもない感じ。
思い出したのが、98年W杯のイングランド対アルゼンチンにおける、かの有名なベッカムの退場シーン。
今回も、ナニバッシングがけっこう吹き荒れるのではないかと思っていたが、メディアを見る限り、目下、審判への懐疑的目線が主流のようだ。ちょっと意外。
football is not dead!!
大人になって、個人的日常が忙しくなるにつれ、結構好きだったこととか、大切なものがどうでも良くなってしまったり、考え方が変わってしまうものだけど、ご多分に漏れず、自分にとっても、「サッカーは人生」ではなくなっている。
それでもサッカーの娯楽性(エンターテイメントとしてのアドレナリン指数)がメチャクチャ高いので、たまに観るわけで、で、今日みたいな試合をみると、サッカーの不確実性、エントロピーバランスの崩れたカオスなゲーム世界は面白いなぁ、ようは、「サッカーってやっぱり面白いなぁ」と改めて感じた。
ManUは、完璧な準備をして、突破までの戦略を立てて、そのWBSどおりの工程を実行していた。
しかしながら、サッカーのカオスに飲み込まれた。
サッカーの、ダイスを振るような、運に、もっといえば、運命的なものの前に、跪くこととなった。
(モウリーニョの戦術の勝利ともいえるが、やはりそこには運の要素が多分に含まれていると思う。
ぺぺを先発させないことで、退場リスクを避けたモウリーニョはある意味すごいが。)
だから、面白いと思う。
世界の不条理に対し、努力し、なんとか運命をコントロールしようとする行為。
どんなに不条理で、困難な道であっても、戦略的にできることをする。
それは尊いものであり、希望であり、人生の姿そのものだ。
「サッカーは人生的」だ。