サッカー的な散文【footballshoegazer’s blog】

鹿児島ユナイテッドファンです。東京でベンチャー企業を経営しています。サッカーについて、好き勝手に書こうと思います。

何かが萎えた瞬間

例えば、バドミントンでは非難されている。

処分も検討されているという。

無気力試合」を非難=国際バドミントン連盟〔五輪・バドミントン〕

最後の方は、W杯の伝説となっている、史上最悪の談合試合、西ドイツ-オーストリアを思い出した(もちろん観たことはないが)。

それまで、なでしこサッカーは美徳の象徴だった。

彼女たちのひたむきさと、強さは、圧倒的に「善」であり、そこが感動を生んでいた。

「ブーム」

そういってしまえば、そのままなのだが、そこには無条件で応援したくなる、魅力があり、物語があった。

しかしながら、綺麗事なのは承知だが、「スポーツ精神的なもの」が踏みにじられたのは確かだろう。

そして実際に、そのような無気力精神は、オリンピックの他種目でも、W杯でも否定されている。

Jリーグにもベストメンバー規定といいう、『「その時点における最強のチーム」をもって試合に臨まなければならないとする規約・規定』がある。

もちろん、オリンピックではその規約など関係ないのだが、あまりに堂々とドヤ顔で「引き分け狙い」を明言するのは、観客や視聴者、そして対戦相手を舐めてるよな、とういか、どうなんだろう。

少なくても、それは口にしてはいけなかった。

佐々木監督を、そして、選手たちを完全に批判はできない。

実際、素晴らしい結果だし、2位通過できたことは、喜ばしいことだし、メダルが近づいた。

どう考えても合理的だし、サッカー人生という短いスパンで捉えた時、メダルを狙えるチャンスはそうない。

モウリーニョでも、ファーガソンでも、こうしたかもしれない。

たぶんするだろう。

しかし、決定的に何かが萎えてしまった。

何かがたち消えてしまった。

なでしこジャパンの周りを包んでいた、魔法のようなもの。

少なくても、純粋に応援できる存在ではなくなってしまった。

女子サッカーが盛り上がって、代表を目指してサッカーを始めた子供たちも大勢いると思う。

ある意味では、その子たちの心を踏みにじったともいえる。

例えばの話、正々堂々と一位突破して、準々決勝でフランスに敗れたとしても、日本の女子サッカーという長い歴史を考えた時、そちらの方が良かったのではないかと思えてしまう。

情緒的すぎるのだろうか。

わからないが、ベスト8おめでとうと言いたいし、メダルをとったら、日本中歓喜に湧いて、お祭りだ。

でもモヤモヤは消えないと思う。

コメント多いので追記です。

要点は、

2位狙いはギリオッケーだとしても、

以下の点がびみょ~

・監督が公言したのはよくない(公的にばらした。黙っていれば、スルーできたのに)

・これだけ堂々とやってオリンピック的に大丈夫か(バドミントンは処分ありそう)

・個人的にアンチ「アンチフットボール